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元新聞記者の「世界道中、旅の途中」

元 新聞記者 世界一周旅記録

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フランクル【夜と霧】を読んで。アウシュビッツ訪問から一週間

 アウシュビッツ強制収容所を訪れた直後に読み始めたヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を読み終えた。思っていた本と全然違った。ホロコーストについて記述した本なので、強制収容所の凄惨な描写が中心だと思いきや、人に対する優しくも厳しいメッセージにあふれた本だった。

 

 

 「夜と霧」について

 ナチス・ドイツによる強制収容所を体験した心理学者が、収容所生活の様子、被収容者の心理の変化を分析して書いた。1947年に出版され、日本語版は1956年に初版。1977年に新版を2002年に新訳版として発行された。「収容」「収容所生活」「収容所から解放されて」の3部構成。2000年末の「21世紀に伝えるあの一冊」というアンケートで翻訳ドキュメント部門で3位。フランクルはオーストリア・ウィーンに1905年に生まれ、1997年没。

 

 今年8月末に、ポーランドにあるアウシュビッツ収容所を訪れた。その後、コメントで寄せられた「夜と霧」の存在を知り、電子書籍版もあるというので、記録が薄れる前に早めに読むことにした。印象的な部分を抜粋してみた。

 

収容所の生活は

 ほかの本と同じように強制収容所の様子がたんたんと描写される。

 「入浴施設」といろんなヨーロッパの言語で書かれた紙が貼ってあり、人びとはおのおの石けんをを持たされた。そしてなにが起こったか。

 

 生き残った人は、全ての財産を没収され、頭だけでなく全身の毛を剃られた。

 

極限の生活

 著者はアウシュビッツの第一夜、三段「ベッド」で寝た。一段(縦が2メートル、幅2・5メートルほど)のむき出しの板敷に九人が横になった。

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 最後のころに一日の食事は、日に一回あたえられる水としていえないようなスープと、人をばかにしたようなちっぽけなパンで、それに「おまけ」がついた。それは二十グラムのマーガリンだったり、粗悪なソーセージ一切れだったり、チーズのかけら、代用蜂蜜、水っぽいジャムがスプーンに一杯などなど

 

 皮下脂肪の最後の最後まで消費してしまうと、わたしたちは骸骨が皮をかぶって、その上からちょろっとぼろをまとったようなありさまになった。

 

 ほとんどの被収容者は、風前の灯のような命を長らえさせるという一点に集中さざるとえなかった。
 生きしのぐこと以外をとてつもない贅沢とするしかなかった。

 

 アウシュビッツ強制収容所では、彼らの極限の生活のあとが残っていた。

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極限のなかで人はどうするか

 極限のなか、人間らしく振舞った被収容者もいた。

 心からうれしいと思った瞬間をたったの二度しか経験していなかった。厨房係の被収容者Fが仕切る列に並ぶように指示されたときだった。Fは大鍋のそばに陣取って、仲間をなしてせかせかと進みながら皿にスープを注いでいた。Fは、皿を差し出す顔を見ない、たったひとりの厨房係だった。…「公平」に分け、 

 

 と、いくつかの「心温まる」エピソードが紹介される。筆者自身も収容所生活の最後のほう、チフスの回診で脱走計画があった。さじを投げる状態だった同じ町の出身者を回診した時、罪悪感にさいなまれたが、脱走計画から抜け、看病することを決めると、やましさは嘘のように消えた。

と自身のエピソードを語っているほか、ナチス側にも被収容者を決して殴らず、人道的に扱ったことも紹介されている。

 

ユダヤ人の言葉が出ないわけ

 思っていた本と違ったと冒頭いったのは、ナチスとユダヤ人で語られがちなホロコーストだが、ユダヤ人の単語はほとんど出てこないという部分。これは訳者も触れていて、この話に普遍性を持たせたかったから、という分析を行っているが僕もそうだと思う。

 さらには、歴史的な背景にも全く触れられておらず、「極限状況の描写」というよりも被収容者の反応や行動の説明に重きを置いている印象を受けた。では、収容所という極限状況で最後に至った結論は何だったのか。

 

極限状況を乗り越えた筆者の結論とは

  経験に基づいた多くのメッセージや結論があるが、一番印象的だった部分を引く。

 人間の魂は結局、環境によっていやおうなく規定される、…収容所生活が特異な社会環境として人間の行動を型にはめる、との印象を与えるかもしれない。
 …人間には「ほかのありようがあった」ことを示している。…感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最後の自由、つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつと見受けられた。

 典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

 

 アルベール・カミュの「ペスト」とそっくりだなという印象を持ちながら読んでいた。リウー医師もペスト渦の極限状況のなか、人間らしく振舞うことを選択する。

 性善説というか、人を信じたとても暖かいメッセージに聞こえる。しかし見方を変えれば、とても厳しいメッセージだと思う。「時代や社会状況のせいで仕方なかったから人を殺した」「戦争に賛成した」。時代のせいだった、というのはよくいわれる。一方で、筆者はどんな状況であれ、人は選択できるということを経験から証明している。

 

 「きれいごとだ。なんて安っぽい」とフィクションなら思うかもしれない。でもこれは、極限状況を実際に体験した筆者の結論なのだ。

 

夜と霧 新版夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録は随分違った雰囲気らしい。新版は難しい言葉もなく、かなり楽にすらすらと読むことができた。