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元新聞記者の「世界道中、旅の途中」

元 新聞記者 世界一周旅記録

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【ポーランド】アウシュビッツ収容所。今の時代にできること

旅の記録 読み物、保存版 ポーランド

 7月末、相模原市の障害者施設で殺傷事件を起こした容疑者は、ナチス・ドイツの思想を受けたという。「恐ろしい考え」と切り捨てたらそこでおしまいだが、「障害者は生きる価値がない」という優生思想は、70年以上前の時代特有のものでなく、弱い心を持ってしまったら誰しも持ちかねないと思う。特定の人間に対し「生きる価値なし」の思想を徹底的に押し通したアウシュビッツ収容所を訪れた。

 

 収容所は現地の公式ガイドツアーを申し込んで、見学した。

 効率よく人を殺す死の工場

 第二次世界大戦時、ドイツ・ナチスの支配地域のちょうど真ん中に、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所は位置していた。「不必要な人間」を効率よくシステマチックに全滅させるため、ナチスは知恵をしぼり、ユダヤ人、障害者、少数民族セクシャルマイノリティーらを各地から集め、殺した。

 収容所だった各棟は写真、犠牲者の遺品を展示するために使われている。何もないただの工場に見えるが、約80年前には全く罪のない人が次々と殺されていた場所だ。

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アウシュビッツ・ビルケナウ収容所とは 

 アウシュビッツ収容所について簡単にまとめる。収容所は、ポーランドの首都から南西300㌔の都市・オシフェエンチムに収容所がある。アウシュビッツという名前は、ナチスが占領した時のオシフェエンチムのドイツ名だ。1940年から1945年の敗戦まで存在し、収監されたのはユダヤ人だけでなく、政治犯、捕虜、同性愛者で、少なくとも150万人とされる。記録されていない人もいて、正確な数字は分かっていない。世界遺産に登録されている。オレンジがアウシュビッツで、黒色と灰色がナチスが支配していた地域だ。

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選別、財産の没収、管理番号

 収監された後は、壮絶な運命が待っていた。各地から座れないほど、ぎゅうぎゅう詰めで長時間運ばれた人は、すぐに「選別」を受けた。「労働者」「人体実験者」「価値なし」。時間の差こそあれ、すべてが死を意味していた。

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  管理番号がつけられ、坊主頭にされ、財産はすべて没収された。一つの棟の壁一面には犠牲者のデータが顔写真とともに並んでいた。ユダヤ人というだけで、囚人のように扱われた。

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 写真をよく見ると、収監された日付と、殺された日が記されている。この人は4日後に死んだ。まさか自分が4日後に、何もしていないのに殺されるとは思いもしなかっただろう。写真の一人ひとりには誰かが願いを込めてつけた名前があって誕生日があって、家族があり、仕事があって、趣味があった。多くの見物客はショックを受けた様子だった。

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尊厳を奪われた収容者

 男性同様に、女性も髪の毛を刈られ、坊主にされた。ある展示棟では、背の丈よりも高く髪の毛が積み上げられ、数十㍍にもわたって並べられていた。おそらく何千人分の長年経って縮れた髪の毛を見て、思わず吐き気を催す。それは加工され、生地にして工場に出荷される予定だったものだ。(「尊厳のため」と写真を撮ることはできなかった)遺体の金歯は抜かれ、骨は肥料にされた。

 最後、多くは「シャワーをあびるため」と言われ、ガス室に連れていかれた。まさか死ぬなんて思いもせず。

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 すぐ近くには火葬場が用意されていた。

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働けば助かるという残酷な希望を持たせた

 ドイツ・ナチスはシステマチックに人を効率よく殺すことに頭を絞った。しかし、最も残酷なのは収監者に希望を持たせたことだと思う。入口には「働けば自由になる」と書かれた看板がある。労働のためにくぐるたび、ユダヤ人はこの看板を見て「耐えれば助かる」と自分に言い聞かせたことだろう。

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 収監者を迎えたのは愉快な演奏だった。

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 「絶対に殺される」って分かっていれば、ユダヤ人はもっと過激に反抗しただろう。でもナチスは、働けば助かる、一時的だ、というメッセージを暗に示した。その方がユダヤ人を管理しやすい。だから収監された人は同じユダヤ人の遺体も処理したし、一生懸命働いた。しかし、ナチスは死しか用意していなかった。救いのない、残酷な希望を持たせた。返す気なんて毛頭なかった鞄にも、持ち主に名前を書かせた。

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 博物館には、イスラエルの国旗を持った学生とおぼしき人がたくさんいた。イスラエルはユダヤ人で構成される国家だ。 彼らは何を思ったのだろう。ナチス・ドイツが各地域に壁を建設してユダヤ人を隔離したように、イスラエル人もパレスチナ人に対し、隔離壁を現在も建設しているという事実はなんとも複雑な気持ちになる。

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アウシュビッツは他人事でない

 小さいころから名前を知っていたアウシュビッツ収容所。どこか遠くの全く関係のない出来事と思っていた。アウシュビッツほど極端な虐殺でないにせそ、知れば知るほど、僕らの日常や考えに関わってくるものだと思えてくる。

 

 ホロコーストを考えるにあたって重要な要素を占めるのは、虐殺されたユダヤ人、ドイツ・ナチス、そして民衆だと思う。むしろ民衆こそがどの時代も大多数だ。軍隊でもないし、被差別でもないし、権力者でもない。普通に暮らす一般の人だ。

 第二次世界大戦時、ナチスを選挙で選んだドイツ人は程度の差こそあれユダヤ人が迫害されていることは知っていたし、社会の大多数に傾く方向が正しいと思っていた。日本も同じで、戦争に反対すれば非国民と呼ばれ、逮捕される人もいた。現代の僕らからすると、どう考えても間違っている。しかし、その時代に生きていて「間違っている」といえただろうか、気づけただろうか。

 

社会の空気に流されないように

 冒頭の容疑者に対し、僕たちは自分たちの言葉で説得することができるだろうか、と思う。「社会がだめって言っているから」「だめなもんはだめ」っていう「社会の常識が正しいからそれに従いなさい」という切り捨て方は、まさに世界大戦を後押しした民衆と同じ。

 今の社会はちゃんと正しい方向に向かっているのか。僕らの当たり前の考えで犠牲になっている人がいるんじゃないのか。いつの時代も、社会の雰囲気、大多数におもねることなく、地に足をつけた自分だけの言葉を持つことが大切なんだと思う。

 

アウシュビッツについてもう少し考えてみました▼

 

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