【イスラエル】後編・村上春樹のエルサレム賞受賞演説「壁と卵」をエルサレムで考える
村上春樹のエルサレム賞受賞演説の「壁と卵」を、英国の作家、ジョージ・オーウェルの1984年と1Q84から考える。続き
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1984年と1Q84は関連しているの
オーウェルのSF小説「1984年」は1948年に発表され、ソ連のスターリン体制化から着想を得た全体主義がいきつく近未来世界を描いています。1Q84はこの小説に影響を受けたと思われます。
1984年では「ニュースピーク」により言語の多様性も失われ、歴史が改ざんされ、「テレスコープ」により市民の行動が監視されています。そして「ビックブラザー」という独裁者がいます。スターリンとかよく知らない僕からすると、ビックブラザーはまさに北朝鮮の金正恩です。ビックブラザーは独裁者個人でなく、全体主義や独裁体制などのメタファーと考え、話を進めます。
- 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/07/18
- メディア: ペーパーバック
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ビッグブラザーとリトルピープル
1Q84でビックブラザーに対して登場するのが「リトルピープル」です。リトルピープルは大きくなったり、小さくなったり、増えたり、減ったり、主人公にとって良い存在なのか、悪い存在なのか、結局わからずじまい。小説の筋にどう影響したかも不明。最後までリトルピープルがなんだったのか明示されず、1984年と比べると肩透かしを食らったという評論を多く見かけました。村上春樹の小説好きの経験としては、リトルピープル=システムという読み方ができます。
どうしてリトルピープルはそんなもやもやした存在として描かれたか。村上春樹はわざとそうしたのだと思います。オーウェルの時代はわかりやすかった。個人をないがしろにする独裁的な全体主義的な国家権力、思想がビックブラザーだった。絶対的な壁だった。ビックブラザーを撃てば、問題は解決さ。一方、もやもやとしたリトルピープル=システムは資本主義体制であり、社会の空気であり、世論etcでもある。それは相対的に壁にもなりうる。
演説の話に戻ります。
小説を書く理由について「個が持つ魂の尊厳を表に引き上げ、そこに光に当てること」
「小説における物語の目的は警鐘を鳴らすこと」
「システムに対しては常に光が当たるようにしなければならない」
リトルピープルは壁にもなる
演説と小説を合わせると、オーウェルの時代と比べて、何が誰が壁かも分からない複雑な時代である、と言っているのだと思います。資本主義とグローバル化が進み、世界中誰もが何らかの形で影響し合っている時代。時代が変わり、システム=壁はビックブラザー的でなく、リトルピープル的になったのだといいたいのだと思います。リトルピープル=資本主義体制、社会の空気etcは、壁になりうる。でもリトルピープルはもやもやしていて、壁なのか、いい影響があるのか、わからない。だから気をつけなけらばならない。フィクションの分野から、そういったリトルピープル的な壁に光を当てて警鐘を鳴らすと言っているわけです。
「システムが私たちを創ったのではない、私たちがシステムを創りだしたのですから」というのはとても重要な言葉です。
リトルピープル=システムをつくっているのは、私たち。だからそれが壁にならないように、人を殺さないように、常に気をつけなければならない、と。
ここまでくると、現代社会特有の闇に対する考え方を言っている、という見方ができると思います。どんな問題でも当てはまる。
誰が「分断の壁」をつくっているのか
パレスチナ問題を重ねてみると、イスラエル人が、イスラエル側とパレスチナ自治区を分断する「現実の壁」を建設してます。しかし今の時代において、僕らも現実の壁を含めたメタファーとしての「分断の壁」を創ることに加担している、ということがいえると思います。(簡単な例では、日本はイスラエル側を支援する米国の同盟国である)ほかにも偏見や差別、無知など。なにを知らずただユダヤ人は悪い、怖いという考えこそが分断の壁を作っている。
「私たちは皆、国家や民族、宗教を超えた、独立した人間という存在なのです。システムと呼ばれる高くて、硬い壁に直面している壊れやすい卵です。…もし私たちが少しでも勝てる希望があるとすれば、それは皆が持つ魂が、かけがえのない取り替えることができないものがあると信じ、そしてその魂をあわせたときのあたたかさによってもたらされるものであると信じています」
パレスチナ問題は、国家や民族、宗教の問題が混じり合う。リトルピープル=システムが壁になってしまった。直接的に関わっていない我々も関わっている。個として問題を考え、無視してはいけない、と言っているのだと思いました。次回はパレスチナ自治区を巡ります。
▼本好きはぜひ